『腕時計』

愛用の腕時計のベルトが壊れてしまったので、

デパートで交換することにした。

とても高いものではないが、

いいものに変えてもらった。

渋い赤色である。

仕事に気合いが入りそうだ。



『腕時計』

 ねじを巻いて、狂った時を正常にし、また時を刻ませる。
 左腕にそれを固定し、シンプルながら華麗な円盤のデザインと、縁の金属の光沢、そしてベルトの紫色の革を味わう。
 それは、プロポーズの時に彼からもらったもの。指輪ではなく、なぜ腕時計かというと、「一緒に同じ時を刻んでいきたいから」。そんなロマンティックなプロポーズを、どうして断れたでしょうか。
 よく物を無くすので、指輪の代わりに、いつもこの小さな腕時計を身につけています。それで咎められたことは一度もありません。
 けれども、一度だけ、その腕時計を行方不明にさせてしまったことがありました。
 それは二、三年前、何かの家事をするときに、無意識的に腕時計を外し、どこに置いたか分からなくなってしまったのです。その日、家には私と愛猫一匹で、夫は友人と遊ぶと言って出かけていて。夜が遅くなるとも言っていました。
 気付いたのは、夜、入浴をしようとしていたときでした。防水ではないので、入浴前にはそれを外すのが習慣になっていたのですが、外そうとしてもそこになかったのです。
 私は大変焦りました。どこで以前外したのか、その記憶が全くないのです。急いで湯船に入れていたお湯を止めて、蓋をして。
 全身のポケットというポケットには、入っていません。脱衣所にある、洗面所や洗濯機の周りを見渡しますが、見当たりません。そこを出て、用を足すところにも。
『なーお』
 愛猫の白猫が廊下で鳴きます。そういえば、愛猫のトイレの片付けを昼間していました。キッチンにあるそこを調べましたが、やはりありません。キッチンの見える範囲にも。そもそも調理をするときは、腕時計は外してポケットに入れ、終わったらすぐに付けるはずです。
――他に目立つ家事をしたかしら。
 そう考えていると、愛猫が近くに寄ってきて、一声、鳴きました。
『にゃーお』
 彼女はダイニングを出て行きます。付いてこい、そう言われている気がしましたので、後を追いかけてみますと、彼女はがりがりとある扉を爪で引っ掻いたのです。そこはピアノがあって、猫は入れないようにしてある部屋です。
 そういえば、今日は昼間、ピアノの練習をしていたのでした。もしかして、と思い、そこを開けて入ってみると、ピアノの横、鏡台の上に腕時計があったのです。
 私はそれをそっとリビングにある宝石箱の中に入れ、彼女を抱き上げました。
「ありがと、にゃーちゃん」
『にゃーっ』
 時に動物の勘は、すごいものがありますね。彼女が満足するまで撫でて、するりと腕から離れて行った後、疲れがどっと出ましたので、ラベンダーの入浴剤を入れてゆっくりとお風呂に入りました。
 しかし、この時以来、私はよりその管理に気を付けるようになりました。おかげで今も、夫との幸せな時を刻み続けてくれています。


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